2017年9月に京都大学病院でセレンを含む院内製剤の調剤過誤ににより60代の女性がなくなるという医療事故がありました。
事故の詳細や再発防止策については、京都大学病院が自身のホームページで公開されていますので、下記のリンクを参照して下さい。
https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/press/20180326.html
この事故について、さらに院内製剤の製造に関与したとして2名の当時京大病院に勤務していた薬剤師が書類送検されるという報道がありました。
https://www.sankei.com/article/20171003-XYH76OBA7VPQ7KAZT3YBHJJEO4/
この事故について、薬局薬剤師としての考察と改善案を提示したいと思います。
上記の事故の概要を見て頂いた上で、また上記の内容から分かる情報を元に書き進めます。まず、「院内製剤」というものがどういうものかというのが一般の方には分かりにくいと思います。
報道の記事のみを読むと、よくある調剤過誤(薬の取り間違いなど)のひどいもので、結果として患者が亡くなるという重大な事故になってしまった事例と思われますが、今回の事故に関してはちょっと違った見方が必要です。
というのも「院内製剤」とは一般には製造販売されていない薬を病院の責任で「製造」して、その病院の患者に投与するための薬です。という事は製薬会社が製造する医薬品と違い、国の製造承認は受けていません。さらに病院の薬剤部自体が医薬品の製造業者の許可も受けていません。ですので、院内製剤とは薬として使用されますが国が認めた医薬品ではありません。
国が認めた医薬品をそのままの形でなく加工した院内製剤もありますが、今回の事故で使われたセレン(亜セレン酸ナトリウム)はそもそも医薬品ではなく、試薬等で使用される毒物です。
医薬品ではない物を医薬品の様に使用するので、当然十分な管理と患者の了解が必要です。今回の場合にも病院内の倫理審査委員会を通り、患者の同意を得た上で使用される事になったと思われます。
それでも死亡事故が起きましたが、この製剤の使用に同意した患者の責任はゼロです。また倫理審査委員会の審査にも落ち度は無いと思います。患者の責任が無い事については言うまでもありませんが、倫理委員会も日本病院薬剤師会が平成24年7月31日に出している「院内製剤の調製及び使用に関する指針(Version1.0)」に基づいて審査しているとすれば落ち度は無いはずです。
https://www.jshp.or.jp/activity/guideline/20120731-1-1.pdf
ではどこに責任があるのでしょうか?
mgとgを薬剤師が間違えて秤量したから、薬剤師の単純なミスという事に世間的になっていますし、書類送検されている事からもその理解が一般的ではないかと思います。しかし、この一般的な解釈に異を唱えたいと思います。
なぜならこの解釈では同様の事故を未然に防ぐのは難しいと考えるからです。
それを薬局薬剤師的な思考で示します。
「院内製剤」と全く別物で「薬局製剤」というものがあります。
これは薬剤師業界でもマイナーな存在で、知らない薬剤師もたくさんいます。また「院内製剤」と「薬局製剤」を混同あるいは同一視している薬剤師もたくさんいます。「薬局製剤」とは正式には「薬局製造販売医薬品」で、薬局が製造業などの許可を取り、かつ品目ごとに製造承認を受けた上で製造する医薬品で国が認める法律上正当な医薬品です。
なぜ、上記の2つが混同されるかというと、名前が似ているのと作業が良く似ているからです。
どちらも調剤室内で薬品と薬品を混ぜたり、水に溶かしたりします。また、処方箋に基づいてその場で作って手渡すわけではなく、予め作り置きしておくというのも似ています。ですが、色々な意味で全く違います。
大きな違いは下記の表にある「製造後の試験」の有無です。
医薬品 | 薬局製剤 | 院内製剤 | |
誰が作る | 製薬会社 | 薬局 | 病院の薬剤部 |
行政による許認可は | 医薬品製造業等が必要 | 医薬品製造業等が必要 | 不要 |
製造できる品目 | 厚労大臣が認可した品目 | 厚労大臣が認可した品目 | 院内の倫理員会が認めた品目 |
製造後の試験 | 既定されている(定量・定性試験など) | 規定されている(定量・定性試験など) | 必須ではない。一般的には行われない事が多い。 |
GMP注1)などの基準 | 適用される | 適用されない | 適用されない |
副作用被害救済制度の適用(注2) | 適用される | 適用される | 適用されない |
(注1)GMP(Good Manufacturing Practice )
国が定めた医薬品を高品質に保つ為の非常に厳しい基準
(注2)医薬品副作用被害救済制度
医薬品を正しく使用したにも関わらずひどい副作用被害を受けた場合に公的に補償される制度。
今回のセレンはそもそも「医薬品」ではないので、対象にならないと考えられます。
前置きが長くなってしまいましたが、この記事で一番言いたい事を先に言うと
「薬を作った後は試験をして、適合する物だけを患者に渡すようにする。」
という事です。
これは一般の人には当たり前の話かもしれませんが、調剤に関わる薬剤師の間では必ずしもそうではありません。
しかし、製薬会社で医薬品の製造に関わる人間にとっては当然すぎるくらい当然の事です。
院内製剤とその他の医薬品を比較しながら見ていきます。
薬局製剤としてはあせもの薬などの塗り薬もあります。
毒物などを原料にはしていませんし、セレンの院内製剤の様に注射用でもありません。
しかし、製造したあとは成分の量が正しいかを調べる定量試験や成分が正しい物かを調べる定性試験(確認試験)が必要です。
薬局内で検査できるものは検査し、できない物は検査機関に依頼して結果をもらい、もし不適合であれば販売出来ません。
ところが、院内製剤では一般的に定量試験どころか、定性試験もされない事が多いです。
その理由はまず法律的に正当な医薬品ではないので、試験方法もその基準も規定されていない事と一般的な調剤の作業(粉の混合やシロップの調製など)では試験はしない事にあると思います。
また、「調剤行為」なのか「製造行為」なのかの区別も曖昧な事が多いです。
今回のセレンの製剤も「調剤の一環」と捉える人もいれば、「実質的な製造」と
みる人もいます。「調剤行為」と「GMPに基づく製造行為」には大きな解離があります。どうも病院では「GMPに基づく製造」は構造的・作業的にとても無理なので、「調剤」としての基準を作って品質を担保しましょうというのが、上記の「院内製剤の調製及び使用に関する指針(Version1.0)」だと私は解釈しています。
詳しく読むと、「3.3 審査を受ける際に備えるべき書類」には
「②製造に関わるプロトコール案(製造原料、量、製造方法、手順)」となってますが、製造物に関する試験の記載がありません。
という事は院内でも審査の際には、試験の規格や試験その物が無くてもパスしてしまうという事だと思います。
さらに、「3.4 院内製剤を行う際に備えるべき書類」には「⑦定性、定量試験の手順書」が記載されていますが、「④製剤調製記録簿」には試験結果の記載はありません。
今回の倫理審査委員会は試験が規定されていなくても、審査を通す事になりますし、そこの落ち度はないと考えます。
さらに京都大学病院が出している死亡事故の調査後に出された上記の再発防止策にも製造物に対する試験の項目は見当たりません。
また調査委員会の外部委員・内部委員ともに調剤や医療安全の専門家ばかりで、医薬品製造の専門家やGXPの専門家は皆無です。
これらから院内製剤は医薬品製造とは別物で、製造している薬剤師にも「医薬品製造」という意識が無いと思います。もし「医薬品製造」に対する病院や薬剤師の考え方が製薬メーカーや薬局製剤をしている薬剤師のそれに近ければ、今回の死亡事故は防げたと思います。つまり製造後の試験方法・規格を作っており、それを実施していれば、mgとgを間違って製造しても最終的に定量した時に異常な値になりますから、患者さんに手渡す事はありません。
セレンの製剤についてはセレンの定量が必須だと思われます。これには原子吸光やプラズマ発光などが必要ですが、患者の血中濃度を測定できるのに、バイアル中の濃度が測定できないわけがありません。また、30年前にすでに簡便なUVを用いた吸光光度計による測定方法も報告されています。
また、驚くべきことに注射用剤でありながら無菌試験の規定もありません。
決して技術的に定量は難しいものではないです。要は必要と思うかどうかです。
薬局製剤では生薬しか含まれていない様な外用薬でも、確認試験があります。私自身、この薬にはこんな試験はしなくても問題ないだろうと考えていました。調剤の方がより危険なものが多いのに、なぜ塗り薬の薬局製剤でここまでするのかと永らく不満すら持っていました。しかし、今思うに「医薬品製造」は明治22年に制定された法律から続く薬剤師の職能で、その製造物の品質を担保するための作業であり薬剤師の製造に対する理念の継承が薬局製剤の試験であると考えるようになりました。
また、2人の薬剤師のミスが責任の大部分とすることは間違いで、問題の本質を見逃す事になります。本当にmgとgを理解していない薬剤師がいたのであれば、薬剤師の資質の問題ですが、今回は読み間違いや勘違いであったと思います。仮に間違えて1000倍量を入れたとしても、さらには意図的に1000倍量を量ったとしても、最終的に定量していれば患者は守られていたわけです。
薬局製剤では製造方法・試験方法まで決まっているのに、院内製剤では不十分であったという事は今回の2名の病院薬剤師にとっても不幸な事です。彼らに100%の責任を押し付けて終わるのではなく、システムとして患者の安全を担保し同時に薬剤師も守られるべき方法を検討すべきです。
それには既存の薬局製剤の業務指針やGXPなどを研究し、個々の院内製剤に応用するという作業を薬学に関わる多職種の人が関わってしっかりした基準を構築すべきと思います。
「医薬品製造」であれば、作りっぱなしではなく、試験してから出荷すべき。
「院内製剤」も予め作り置きする前提の物は「準医薬品製造」として、薬局製剤のレベル(試験規格あり、GMPなし)で行うべき。
その前提として、現場の薬剤師が医薬品製造についてもう一度しっかりと勉強し、明治以来の培ってきた医薬品製造に対する知見をもう一度しっかりと身につけるべき。
薬剤師の世界では「物から人へ」(対物から対人へ)と言われますが、大前提として「物」の品質を担保出来ての話だとあえて申し上げたい。欠陥商品でいくら対人業務を洗練させても、事故を防ぎきれません。